知らない人に鍵を預けるということ

大田区多摩川 矢口渡 ペットシッター キャットシッター 猫 犬 ウサギ モルモット ハムスター 小鳥 ペットのお世話
Yuushin keikoku

お世話になっております。

 

もしも私がネコちゃんやワンちゃんその他動物さんを飼っていて、どうしても他人様にそのお世話を頼まなければならない状況になったとして、一番抵抗があるのは「顔も見たことのない見ず知らずの他人に留守宅の鍵を預けて出入りを許すこと」…ではないかな、と思います。

 

私がどんな人間か、HPやブログの情報だけで知るのは難しいですよね。ここでどんなに文字を並べても、信じていただけるかどうかはもうお客様にゆだねるしかできませんが、私がどんな「人間」なのか、「信頼に足るかどうか」というテーマで、私のこれまでのことなど書かせていただきます。 (とはいえ有名人でもイロイロ詐称する人はするので、もちろん嘘を書こう思えばできますが…もうそれはその人の人間性というか。総合的にご判断くださいませ(苦笑))


私は東京都大田区矢口で生まれ育ちまして、 多摩川幼稚園に通い、 多摩川小学校に通い、 矢口中学校に通い、 都立三田高校に通いました。


生まれた時からず~っとここら辺で生活している、という事実で私がお伝えしたいのは、もし、私が人間的に何か問題があったり、他人様に迷惑をかけるようなことをしていたら、こんなに長いこと同じところ(しかもほぼ一か所)にいられないのではないかな、ということです。もし私がこれまでに何か「しでかして」いたら、後ろ指さされる等で、よそに移り住むかと。

 

高校卒業後は、推薦(無試験)で大学に行かせていただきました。無試験で大学に行けるということは、それこそ高校の先生方の信頼を得なければできないことかと思います。 大学では4年間、雑誌編集サークルに所属して、3年のときには(第217代)編集長をしておりました。部活などを転々としていない、かつ「長」を務めた、ということでも信頼の根拠になるといいのですが。
ちなみに中学・高校はずっと美術部で、それぞれ副部長。小学校のときはずっと編み物クラブで、部長。 そんな感じで、習い事等はかなり続くタイプです。ピアノも3歳から大学まで習ってました(ヘタクソでしたが(笑))。おかげで?音楽は今も幅広く好きです。


最初に正社員としてお勤めさせていただいたのは、公認会計士事務所での一般事務でしたが、大学時代のサークルの先輩(一年上の編集長)の紹介ということで、 自分で作った「縁故」で入らせていただきました。
 「会計事務所」や「銀行」など、「他人様のお金」を扱う職業に就ける、ということは、それだけで「その人に信頼がある」ということ(特に、所長さんが勲章をいただくような個人事務所だったので、信頼できない人にはそもそも声がかからない。続けさせていただけない)かと思いますが、私はそこに7年半勤めておりました。
おそらくこの事実が一番、「私という人間が信頼できるかどうか」の根拠になるかと思います。


学生時代からちょこちょこと編集などの仕事もしており、その恩師には今でも野菜を送っていただいたりしております。小学校時代からの友人との交流もいまでもあります。これらの事実で私がお伝えしたいのは、「長期間、同じ人とも人間関係を保てる人です」ということです。実家を出て以降、私が今住んでいるのは、1階に大家さんがお住まいの賃貸ですが、こちらもすでに10年以上住まわせていただいております。ずっとよくしていただいております。何か問題があったら無理かと思います。


これだけ地元に密着していて、自分の個人情報や各種登録番号もさらしていて、個人でお仕事をさせていただいていて、「何か問題行動をする」という方が、明らかに私にとってリスクが大きいと思います。

 

大田区は、大きな?古くからある?会社様でペットシッター業をされているところも多いようですが、そこで「雇われて」仕事をする場合と、個人で(すべての責任を自分だけで負って)仕事をするのでは、「心の持ちよう」からしてイロイロと違うかな、とも。 もちろん「会社の方が信頼できる」という考え方もありますが、ワタクシとしましては、常に「何かあったら一発でアウト」と思って活動しています。

 

……これくらいのことしか書けませんかね。あとはご判断いただくしか。
「全部作り話に違いない!」とか思われたらアレですが、それはもうこちらではどうしようもないので(笑)

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次に気にされるところといえば、留守中(目の届かないとき)に、家族同然に大切なペットさんに、見ず知らずの他人(私)が何かヒドイことをしないか、ということでしょうか?

 

私が動物さんにヒドイことはできないだろう、というエピソード?としては……

 

私は、社会人になってから乗馬を5年超ほど習っていましたが、「怒る(叱る?)」などが上手にできなかった、ということ。(なので、もしワンちゃんの「しつけ」などを期待されている方、いらっしゃったらスイマセン、無理です(苦笑))


乗馬クラブのお馬さんの中には、すごく敏感な子からかなり鈍い子までいて、鈍い子やこちらの指示をきいてくれない子にはちょっと厳しめくらいの指示を出さなければならなかったりもしますが、そんなことをするくらいなら「できないままでいい」と思ってしまう方でした。
動物さんを故意に苦しませたり悲しませたり、嫌がることをしたり…が無理です。
たとえ「その子のため」でもできないので、その点は私の至らない点かもしれません。
「馬」という、自分の体よりも大きい動物と接していたので、たとえば「大型犬か小型犬か」はむしろあまり問題ではなく、「しつけをきちんとされている子か」ということの方が、大きいような気もしています。
ワンちゃんも大好きですよ。嬉しそうにお散歩されているのを見かける度に、かわいくて顔が緩みます。


あと、動物園の「ふれあいコーナー」が大好きで、動物園に行くと必ずと言っていいほど「ミニ動物園」的なところに行く私。そこで他人様のお子さんが、私には考えられない乱暴な扱い方で、ミニウサギさんの胴を「力いっぱい握り締めて振り回す」ような所作を目撃することがあったのですが、親御さんのついているその場で、他人様のお子さんを叱れなかったこと、今でもはっきり覚えています(私は成人してました)。
その親御さんとお子さんに対する押さえがたい怒り、無力な自分に対する怒り、多かれ少なかれ日々ああいう人間の慰みものとして、つらく短い命を終えるのだろうという「ミニ動物園」の子たちのことが頭から離れず、長い間、深刻に落ち込んだりしてました。今でも「ああいうとき、どうしたらいいのか」と思うことがあります。

 

もしかしたら私は、人間よりも動物さんの方に親和性・共感性が高いかもしれません。子どもさんが遊び半分に「虫の足をもぐ」とかも、ちょっと自分には考えられません。 「命」というものをどういうふうに感じて扱っているのか。 そういう感覚が、いつ人間に身に付くものなのか、身に付かないとはどういうことなのか、は、ちょっと知りたいと思います(私は心理学科卒でもあるので)。

 

 「いいじまさん」の人となり?の一部、ご参考にしていただけると幸いです。
どうぞよろしくお願いします。